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2016年5月下旬に山形県山形市を訪れました。明治時代の建築とそれらを巡る中で出会った蛙達を紹介します。
▼ 羽州街道から国道112号線に JR山形駅から東に約500 m、繁華街を北東から南西に貫く国道112号線。江戸時代に武士と町人の居住地を分けていた三ノ丸の堀に沿って造られた羽州街道がその元になっています。 明治時代初期、初代の山形県令に就任した三島通庸が進めた街づくりで県庁や病院など様々な公的施設が街道沿いに建設されました。現在は霞城公園に移築された病院、旧済生館本館(現山形市郷土館)もその1つです。 また、同じく街道沿いにある観光施設、山形まるごと館紅の蔵(Fig. 3)では、呉服店の座敷を食事処や展示スペースとして利用しています。
食事処の反対側にある勝手口手前の左側に置かれた石鉢の上に水を飲んでいるかのような姿で置かれた蛙(Fig. 1)を見つけました。大きさは、幅30 cm×高さ20 cm×奥行き40 cm。 石鉢に固定されておらず、触るとぐらぐらと揺れました。顔の表情が分からなくなる程、角が取れており歴史を感じます。 旧済生館本館は、4階建の後ろに八角形をした2階建の回廊があり、中央部は庭園になっています。その形はまるで首を伸ばした亀のようです。 病院と医師の養成所を兼ねた施設として1869年に造られました。現在、山形城本丸跡地の霞城公園に移築され、主に医療関係の史料を展示する山形市郷土館(Fig. 4)になりました。 入口の傘立てに、蛙をあしらった貼り紙(fig. 2)がありました。様々な大きさのトノサマガエルが、傘の忘れ物に注意を促してくれます。
山形まるごと館紅の蔵 山形市十日町2-1-8 |