信楽焼の歴史

 甲賀市信楽町は滋賀県の南の端にある山合いの街です。 この地域でなぜ陶芸が盛んになったのでしょうか?

紫香楽宮跡
Fig. 1 紫香楽宮跡
【奈良時代】
 最初に「しがらき」の名が歴史に登場するのは、奈良時代のことです。聖武天皇が紫香楽宮(しがらきぐう)に都を移したのです。都はわずか4年で再び奈良へ遷都してしまいましたが、その時に瓦を焼いたのが信楽焼の始まりといわれています。

【特徴】
 また、信楽地方は陶器を焼く「たきぎ」として適している「アカマツ」が自生していたこともあげられます。さらに、陶芸にはなくてはならない「陶土」が産出されました。特に信楽の土は長石や石英といった化学物質が多量に含まれ、これが焼成時に白い斑点として浮かび上がるという特徴をもっています。

人より多いたぬき達
Fig. 2 人より多いたぬき達
【現状】
 現在の信楽焼でもっとも有名なもののひとつに「たぬきの置き物」があります。これは、壺や茶碗から生活雑貨へと生産の中心が移った頃、すなわち明治時代以降より造られはじめたようです。

 信楽の窯元を訪れると、人の数よりもたぬきの数のほうが多いように感じます。蛙の置き物もこれとほぼ時期を同じくして作られ始めたのではないでしょうか。


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