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2016年6月下旬に福岡県北九州市を訪れました。北九州市は、1963(昭和38)年に門司、小倉、戸畑、八幡、若松の5市が合併して誕生しました。
福岡県で初めて人口が100万人を越え、政令市に指定されましたが、産業の衰退と共に苦境にたたされている地区も少なくありません。今回、若松区と八幡東区を散策し、感じた事を記します。 八幡は、江戸時代まで塩田が広がる寒村でしたが、原料の石炭の供給が容易な事から国営の製鉄所ができ発展の一途を辿ります。最盛期には9機の製鉄高炉が稼働し、甚大な大気汚染と水質汚濁を引き起こしました。
▼ 空と海を取り戻す 高炉を戸畑地区に移転し、洞海湾のヘドロを掘削し、約30年の歳月を経てようやく青い空と綺麗な海を取り戻す事ができました。現在、高炉の跡地には北九州博覧祭2001の開催を契機にレジャー施設(Fig. 1)やショッピング施設、博物館ができ、新駅が誕生しました。 若松は、1970年代まで石炭の輸送で大変潤った街でした。若松駅の南側には若松機関区が設けられ、筑豊地方の炭田で採掘された石炭を港に運ぶ貨物列車で日々賑わいました。
多大なお金が動く街には気性の荒い人々が闊歩していたそうで、火野葦平の小説「花と龍」に詳しく描かれています。エネルギー源が石油に転換するとともに街は衰退を始め、現在、機関区の跡地に建てられたマンションと昔ながらの戸建てがある静かな住宅街に姿を変えました。 かつて鉄鋼と石炭で栄えた地域は、それぞれ集客施設と住宅地に姿を変えました。光と陰、双方を経験した地域とその住民は、新たな方向を目指し模索を始めています。
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