川崎橘樹(たちばな)を歩く

 2016年6月上旬に、川崎市教育委員会が主催するイベントに参加し、高津区に点在する史跡を徒歩で巡りました。

たちばな古代の丘緑地
Fig. 1 たちばな古代の丘緑地
▼ 多摩川を遠くに望む

 武蔵溝ノ口駅南口から川崎市バス溝22系統に乗り、約10分で集合場所の橘出張所に到着しました。午後1時に説明を担当する学芸員の案内で出発し、橘小学校の裏を通り山道を登ります。

 付近の地名である「たちばな」には、橘と橘樹の2種類があり現在は主に橘が使われています。橘樹の記載になった理由は、奈良時代の律令制度により地名を2文字にするよう指示があったためだそう。

 明治時代に1文字に改められ、2文字の地名は橘樹神社に残るのみです。約15分歩くと遠くに武蔵小杉の高層マンションや多摩川台の森を望める場所に着きます。

薬師如来座像@影向寺
Fig. 2 薬師如来座像(中央)@影向寺

▼ 奈良時代の役所が蘇る

 この場所には奈良時代、正倉と呼ばれる稲などを保存する倉庫が建ち並んでいたそう。また、一帯には橘樹郡衙と呼ばれる役所がありました。

 役所には通常、郡庁(郡の役人が政治を行う建物)、厨(郡の役人が食事をとる建物)、館(国府の役人が宿泊する建物)、正倉と4種類の建物がありましたが、現在場所が特定できているのは伊勢山台地区の正倉(Fig. 1)のみ。ただ、上原宿地区で発掘された建物が館ではと考えられているそうです。

 約500 m歩くと影向寺に着きます。影向寺と橘樹郡衙を併せて、橘樹官衙と呼びます。

 影向寺には国重要文化財に指定されている薬師如来座像(Fig. 2)と日光菩薩立像月光菩薩立像があります。薬師如来は古代のお医者さんで、影向寺も眼病の治癒に効があるそうです。

影向石@影向寺
Fig. 3 影向石@影向寺
▼ 分かりやすく楽しい解説

 また、日光菩薩は日勤の看護師、月光菩薩は夜勤の看護師に例えられ薬師如来の救いを助ける存在なのだそう。月光仮面のキャッチフレーズが正義の見方なのは、月光菩薩に由来しているからとの事です。

 分かりやすく楽しい解説を聞き、山道を歩く足も軽やかになりました。この後「たちばな」の由来になった日本武尊の妻、弟橘媛(おとたちばなひめ)の伝説が残る子母口富士見台古墳や今でも縄文時代の貝殻を拾える子母口貝塚を巡り、散策を終えました。


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