グリコ・森永事件に思う

 1984年から85年にかけて、日本を震撼させたグリコ・森永事件。当時、幼稚園、小学校に通っていた私にもうろ覚えながら記憶に残っています。

淀川と北摂地区
Fig. 1 淀川と北摂地区
▼ 未解決で時効を迎え

 子供にとって身近な存在であるお菓子に毒を入れるという行為が衝撃だったのでしょう。未解決のまま2000年にすべての事件が時効を迎え、2019年現在も犯人は明らかになっていません。

 しかしながら、犯行を疑わせるグループの存在はたびたび報道されています。例えば、1994年3月25日の読売新聞朝刊。

生駒山地と北河内地区
Fig. 2 生駒山地と北河内地区
▼ 大阪市内のクラブ

 江崎勝久江崎グリコ社長が客として出入りしていた大阪市内にあるクラブの関係者が滋賀県警から取り調べを受けました。犯行グループは8人で、キツネ目の男や犯行テープを吹き込んだ男児も含まれているそう。

 その後取り調べは進展せず、6月に読売は記事は性急だったと報道します。この他にも逮捕するには十分な証拠を挙げられなかったものの、疑わしいと思われるグループが存在するようです。

▼ アナログとデジタル

 事件の主な舞台は、淀川を挟んで南北に広がる摂津市、豊中市などを含む北摂地区(Fig. 1)と寝屋川市、枚方市などを含む北河内地区(Fig. 2)。警察が犯人に接触あるいは近づいた焼肉大同門、JR東海道本線、名神高速道路も地区内にあります。

 中でも現金の投下場所で車に乗って待機していた犯人に偶然滋賀県警が職務質問をした案件は、グループに逮捕の危機感を与えたのではないでしょうか。以降、不二家や駿河屋への脅迫では、紙幣のばら撒きを要求するなど金銭の獲得に対する本気度が感じられません。

 不二家は、犯人グループと見られる無線の会話にも登場します。怪人21面相と玉三郎と名乗る2人は、不二家は金を出さないだろうと話します。

 当時パソコンやスマートフォンはなく、犯行にはタイプライターや無線が使われました。アナログは人や機器の個体差に、デジタルはログファイルに証拠が残ります。

 1980年代はアナログ時代の終盤、機器の大量生産が進む中、個体差による犯人の特定ができませんでした。デジタル時代の現在であれば解決できた事件かもしれません。


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