聖武天皇の夢~大仏建設

 信楽(紫香楽)の地名が歴史上初めて登場するのは、奈良時代の歴史を記した「続(しょく)日本紀」。この書物によると、天平文化の中心人物・聖武天皇は743年、この地に離宮を造り盧舎那(るしゃな)仏(大仏)の作成を計画します。

~紫香楽宮関連年表~
西暦 元号 事柄
701年 大宝元年 聖武天皇誕生。
710年 和銅3年 元明天皇、平城京に遷都。
740年 天平12年 藤原広嗣の乱おこる。
740年 天平12年 聖武天皇、東国行幸に出発。
740年 天平12年 聖武天皇、恭仁京に遷都。
742年 天平14年 恭仁京~甲賀郡に至る道を建設。
742年 天平14年 離宮として紫香楽宮建設開始。
743年 天平15年 大仏造立の詔(みことのり)。
745年 天平17年 恭仁京、造宮工事停止。

 奈良時代というと、仏教が広まり、様々な美術工芸品が作られた文化的な印象があります。しかし、豪族による反乱はたびたび起こり、特に740年の藤原広嗣の乱は聖武天皇にとって大きな影響がありました。

 いつまでたっても平和に治まらない世の中を苦悩した天皇は、その助けを仏教に求めます。大乗仏教の書物・華厳経によると最高位の存在である盧舎那仏の建設もその1つ。中国・洛陽にある、龍門石窟の石仏を参考にしたともいわれています。

 740年、聖武天皇は伊勢や美濃の国など東国を回ったあと、平城京には戻らず恭仁京に入りそのまま遷都してしまいます。さらに743年、恭仁京から交通の便のよい、紫香楽の地に大仏を作ることを決断するのです。

 こうして、平城京からの遷都・大仏建立は順調に進むかと思われましたが、天災や疫病(天然痘)、放火などの人災によって745年にはこれらの作業に終止符を打つことになります。

 恭仁京に遷都してから平城京に都が戻るまで約5年間。短い期間ではありますが、約1300年前に天皇が世の平成を願って夢を追ったことに思いをはせながら、信楽の地を歩くと歴史のロマンを少しでも感じることができるかと思います。

参考図書:平城京遷都(中央公論新社)千田稔著


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